時々日記。


風の向くままに書き散らしています。

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2016/04/26/Tue    ハズレっぽい櫛。

注文した櫛が届いた。
しかし、予想と違う。

色味が違うしなぜか「木櫛」と伝票に書かれている。
ツゲではないってことか……?

櫛本体にも、普通どんな安物にも「つげ櫛」などと焼き印されているのに「日本櫛」とある。
ガイジン向けのお土産レベル……?

ツヤがない。
表面の仕上げ工程が2つくらい省略されているカンジ。

櫛の歯の根元がわずかに不揃い。
仕事が大雑把なカンジ。

髪にダメージを与えたくないからつげ櫛を選んだので、その櫛がダメージを与えてきたらかなりイヤだ。

思わずヨドバシのサイトで目の細かい仕上げ用紙やすりセットなんか検索してしまった。
しかし職人のレベルを求めるなら、冷静に考えて自分でやってもダメにするだけだろう。
ある程度使ってあきらめるのが無難か。

2016/04/22/Fri    櫛折った。

目覚ましで起きて、布団をめくったら愛用の柘植の櫛がぱっきり半分になって転がっていた。
思わず悲鳴をあげる。
風呂上がりに梳いてそのまま片付けもせずに轟沈して、下敷きにしたんだろう。

携帯用櫛をバッグから引っ張り出して急いで支度した。
バスに乗って、タブレットを開いて即決で次の櫛を注文した。
なぜか代々長持ちしない梳き櫛、履歴によればやっと4年半保ったところだった。
かたや携帯用の方は少なくとも17年は経っている。
なんなんだ、この差は。

櫛を折るなんて不吉の前兆のようだが、とりあえず気疲れはしたものの無事1日は終わった。
しかし帰ったら玄関にココアさんの粗相跡。
気力を振り絞ってバケツで流したが、半開きだったらしいドアが開いてしまっていることに片付けの後に気付いて閉めた。
気持ちよく風呂に浸かって、爽やかな気分でココアさんにチーズを出して……
いたら、かりんさんが呼ぶ声がかすかにする。

あらぬ方からする。

外だよ!
いつの間に、というかあのわずかな間に出たのか!
入浴だけでもで30分くらいかかってるから、ずいぶん長いこと閉め出してたな!
狭い穴に隠れちゃったココアさんと違ってドアの前で声出してくれるのは助かるけど!
そしてその間誰も出てこないご近所、猫(野良とか)の声に慣れてるのか。

この日、櫛の不吉が降ってきたのはかりんさんでした、と閉めるところだろうが、無事家の中に戻ったかりんさんは全然動じない。
すぐにいつもの場所で腹を出して寝転がって、いびきをかき始めるかりんさんに、不吉な影なんかカケラも差さない。

2016/04/15/Fri    遠い地震。

東京では、軽い、とても軽い直下型の地震が昨夜あった。
地震嫌いのかりんさんも逃げるほどではなく顔をあげただけだったので
「小さくてよかったねー。直下型で大きかったらぞっとするよねー」
と、一般家庭より重量超過であろう本の壁を見渡し、地震の「ミシリ」という音を思い返した。
片付けなきゃなー、といつも通りの、しかし一向に焦りにつながらない反省をして、テレビを消して猫を両脇に抱えて寝た。

そのままテレビをつけていたら、間もなく熊本の第一報が入っただろう。
実際には熟睡していつもより早くすっきりと目が覚めて、掃除・ゴミ出しをして、家事のスムーズさに爽やかな気分になって朝食を作ろうと台所に立って、テレビをつけたら脱線した九州新幹線が映っていた。
変わらない日常の中に立ちつつ、情報の中の日常が吹っ飛んだ瞬間。

阪神・淡路の震災の時もそんなだった。
いつもよりのんびりと日課のケーキを焼いて、自転車でのんびりと店に届けに行ったら
「早朝から大変なことになってるのにまだ知らないの」
とテレビを見せられ、その時から情報の世界が一変した。
この時の、自分の身と情報世界の大事件との時差がどうにも強烈で、以来テレビをつけて大事件に遭遇すると奇妙なズレを感じるようになった。
ズレの印象は今映像で見ている道路の亀裂に似ているかもしれない。
生身の日常が変わらないのに情報世界の自分が唐突に非日常に接した、現地の人にはとても申し訳ない表現だが仮想現実の中にいるような乖離感がある。

九州で避難している人たちが早く安心できるよう、早く日常が復旧するよう、心より祈る。
それは間違いない。
自分の中の溝を埋めるのは時差なく得るこれからの情報だったり、わずかながら関わる現地との実際のやり取りだったり、もしかしたらできるかもしれない手助けだったりするんだろう。