時々日記。


風の向くままに書き散らしています。

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2016/09/27/Tue    下北沢で指圧して。

整骨院にまめに通って、肩の不調はゆーっくりと回復しつつある、
しかし繁忙期と呼ばれない多忙期が来た。
休日出勤増えまくり、負担増えまくり。
なのでまた指圧に行ってきた。
帰りに寄り道する気満々で。

相変わらず静かで穏やかに痛くない指圧、ゆがみの矯正の仕方も整骨院とは違う方法で、家でできる応用も聞いて、興味深かった。
「凝りの巣」が誰もがここだと断じる首から後ろ肩ではなく、顔の下の首正面側にものすごく押されて響く「巣」があると体感して、何やら常識の価値観が変わった気がした。
1時間揉みまくられたらさすがに体が楽、肩も最初見て「150度くらい」とぼそっと言われたのが「170くらい?」にまで上がるようになった。

軽くなった体であれこれしたくなってうろうろするのだが、せっかく回復したのに負担を増やしてどうする、というくらい歩き回った。
シモキタのファッションはいいなと思うものもあるけど、対象年齢と自分に開きがありすぎるので主に目で楽しむ対象だ。
インテリアや小物はしゃれてるのも実用的なのも面白く見るが、家の中を片づけておけるものを統一しろ、というのが結論になる。

新宿に出ると長年の方向感覚で中央東口から地下プロムナードの方へ、何も考えずともふへぇ〜と歩いて紀伊国屋書店に出る。
最近めっきり本屋で本を物色するなどという行動から離れてしまっていたので、懐かしかった。
さらにふらりと搬入トラックの間を縫って裏道を歩き、大通りに出ると世界堂が目前にそびえ立つ。
どこへ行こうか、何を見ようか、と迷っていた挙句、足が覚えたヲタク定番コースを歩いている。
世界堂は楽しめるし、買い物の目標もあるしヲタクとしてはいうことはない。

出発から世界堂まで、ずっとBGMになってたのは、ウォークマンで聞いていた ZABADAK だった。
ここをはじめとした東京西部の私鉄を、仕事のために初めて行き来し始めたころ、ZABADAK を教えてもらってハマるように聞き始めた。
(当時はテープの)ウォークマンを仕事に持ち歩いていたりしたから、私にとって ZABADAK は東京西部のこの辺のBGMの一つでもある。
訃報を聞いても、何度その時のことを読んでも、未だに故人という実感が全然わかない。
そこにあるべき声で、いなくなるなんてありえないような感覚だ。
時間の知り方、実感の仕方が、これからこんな風にどこか変わってきたりするんだろうか、と頭の隅で思う。

2016/09/25/Sun    やってしまった。

目が覚めたら、ベッドとPCラックの間に緑色の液体が散っていた。
全速力で寝る前の記憶をたどる。
30分以内に寝たいからと睡眠導入剤を飲んで……

効くまでに30分くらいはあるだろうと、アイス(抹茶)を開けたんだった。
ほとんど食べずに寝落ちしてアイスも落としたのか。
やってしまった。
情けないし、もったいない。

薬を飲んでからの効き方はあまり一定ではなく、飲んですぐ酩酊感が来たり、効かなかったかと不安になるほど意識がはっきりしていたりする。
前日によーく寝たので効きが遅いだろうと踏んでいたのに、疲れがたまっていたのか即落ちだった。

寝る間も惜しんであれこれやってしまう人間は、薬をもらっても薬が効く間も惜しんでまたあれこれやっている。
アイスのベタベタを拭いている今は懲りたと思って反省しているが、繰り返すようならどうしたらいいんだろう。

2016/09/24/Sat    早すぎる冬の足音。

昔仕事中に出先で買ったセーターがある。
予想外の寒さにどうしようもなくて半ば無理やり買ったことは覚えているが、微妙なデザインで使い勝手も微妙で、そんなに追い詰められたっけ?と時折思う。
9月というのにこんなに冷える今週みたいな雨の日に、そうか、半そでが普通のさなかに突然セーターを必死で探すほど寒い日があったんだと思い出す。

今週初め、ココアさんがシーツをかき分けて下に潜り込んでいた。
薄着なココアさんの寒い時の定番行動なので、毛布でくるんでその中が暖かいと覚えるようにした。
しかし翌日はさらにベッドパッドをめくって潜り込んでいた。
ソフトあんかを出して毛布でくるんだ上に寝かせた。

翌日、ココアさんはあんかがすっかり気に入ったが、自分もやっぱり寒いので布団を出した。
シーツ取り換えのついでに電気毛布を出して敷いたら、じめついた布団が乾いて快適になった。
半纏も出したくなったが、これは干してからにしたい。
台所に立ったら足元が冷えてストーブを出したくなった。
もはや冬支度を考えている感じだ。
温かいお茶がおいしい。

来週はまた暑くなるというから夏服も仕舞えないし、敷いた電気毛布やあんかを仕舞う気ももうない。
気温に振り回されるごちゃついた秋の到来だ。
まあ予想できることは、晴れたら半纏や羽毛布団を干しておきたいと思いつつも、いざ晴れたら暑くてそんな必要は頭から飛んだまま、また寒い日に後悔するんだろうということ。

2016/09/21/Wed    とある病院。

昔に仕事でよく訪問したところを、ふと思い出して画像検索してみた。
重厚な古い建築物のままだったり、思いがけず更地になってしまっていたり。
しかしその中で、いきなり温泉旅館の夕食のような豪華なお膳が大量にヒットしたところが。

ナルホド、と一瞬で理解できた。
ここは産婦人科なので、出産後の祝い膳だ。
入院中の毎日の三食も、飽きないようストレスにならないよう選択肢と変化に富んでいる上、3時のおやつまで出るとか。
病院内の画像も、場所によってはリゾートホテルのようだ。
最近の、人生の一大イベントのためのニーズに応えまくっている。

仕事で訪れた時はまだこじんまりとしたかわいらしい印象の医院だった。
しかし中身はその頃からすでに普通じゃなかった。
エレガントな真鍮の飾りがついたドア、(模造)大理石の床、白とピンクと金色の内装。
ずらりと並ぶスリッパの棚には紫外線滅菌灯がついている。
怯みながらトイレをお借りすると、もっとうろたえることになった。
真っ白清潔なシャワートイレは当たり前、座るとドアに張られた海外の星空を眺めることになる(院長が撮ったものらしい)。
真鍮と大理石の洗面台にはポプリが置かれ、手拭きは籠に積まれたふわふわのタオルハンカチ。
拭いて横の籐籠にポイ、このへんはお屋敷のトイレと同じだが、さらにゴージャスにキラキラしかった。
高級感では高プリ(同時期の訪問先なので比較対象)のトイレよりも上を行っていた。
どこのお城のエチケットルームかと……

入ってすぐの受付待合あたりがこんなでは、同行の男性陣はさぞ居心地悪かろうと思ったが、2階の病室へ上れる階段の踊り場に、ご自由にどうぞ、とコーヒーのポットとカップの盆がさりげなく置かれていた、
いろんな面に配慮がされていたようだ、

そんなお洒落医院なので、とれんでぃっぽいドラマのロケに使われたこともあった、
ワゴン車にたくさんの衣装が用意されて、顔も名前もわからないが俳優さんたちがうろうろしていた。
それでも仕事にずかずか入っていったけど。

テレビに出ても遜色ないほどの貴族のお屋敷みたいにゴージャスな病院の、ホテルみたいに素敵なお部屋で、お洒落で健康的な三食とおやつを食べてアロマテラピーとか受けたりしながら子供を産んで母になって、退院前日にはひときわ豪華な尾頭付きの祝い膳が出る。
お姫様になる夢の、ある意味頂点。
今思うと、あの真鍮と大理石でできた待合室は、そんなとれんでぃな妊婦さんたちの夢を具現化した病院の走りで、それから今まで一線を画した高級感に特化することに邁進していったんだろう。

近所には親の代からのペットクリニックを継いで、都内有数の犬の関節疾患に特化した整形外科病院にして、画像センターまで併設してしまった動物病院がある。
同様に、理想に邁進する一つの姿が、ホテル並みのサービス空間なのだろう。
行きつくところって計り知れないと、昔の何やかやを検索するたびに驚いたりする。

2016/09/15/Thu    ライト効果。

ガラケーのカメラ機能でも、結構暗いところも撮れるといまさら気付いた。かりんさん
ベッドの読書灯のそばのかりんさんを撮ってみる。
なんだかかしこそう。
本でも読んで深いことを考えてるように見える。
もちろん実際のところ、まぐろと愛でられることしか考えてないわけだが。






2016/09/13/Tue    訪問者?の香り。

突然、明確に煙草の煙を感じることがある。
もう十数年になるだろうか、最初は何時だったかはわからない。
一時はほぼ毎日で、どこかから煙が流れているのだろうかと思ったが特にそういうこともないようだった。
引っ越しても変わらなかったし。
もちろん自宅に喫煙者はいなくて、煙草を持ち込んだことさえない。

と話題にすると、大体の推測は煙草を吸う故人の来訪を受けているのではというあたりに流れる。
ヘビースモーカーだった故人に心当たりはいくらでもあるが、誰にせよ、ヒトがプライベートなあーんなことやこーんなことをしている最中に許しもなく押し入ってくるな、デリカシーのないやつめ、という結論に至る。
特に生活を改められるでもなく、あー、また匂うわ、と思う。

いつの間にかその頻度が減ってきた。
あられもない生活ぶりのどれかに嫌気がさしたんだろうか、心当たりはありすぎて、むしろ長年幻滅しなかった理由が知りたいくらい。
と思っていたが、最近また匂うようになってきた。

ネットで同じような体験を読んで、やっぱりあるものだなーと思って、検索してみたらやっぱり見えない訪問者説が多かった。
体質では、という人もいたが、どんな体質なのか。
共感覚みたいに別の刺激から臭いの記憶を誤って引っ張り出すような感じか。
いずれにせよ実害はないが、どうせなら好きな香りだったらいいのにと思ったりはする。

2016/09/11/Sun    需要のほど。

紆余曲折七転八倒試行錯誤――を意識した以上にしていたらしい、自分の半生。
中期中年期真っ盛りにもなってようやく実態が見えてきたADHDの体験記なんて、どれだけ需要があるだろう。
より若い人がより早く治療を始めた情報の方がどう見ても役に立つと思う。

ただ、これはADHDの症状、あれもそれもこれのせい、と言ったらそうだったのか!と地団太踏んで共感してくれる人が自分の周りには結構いるとは思うんだよな……っと。

久しぶりに頭の中でネームを切っている。
でも、きっとネームだけ。
これを実体までにこぎつけるのがものすごく難しい、それも悔しくて仕方ないが症状の一つだったりする。

2016/09/05/Mon    変わる母校の変わらない制服。

ふと思い立って通っていた小学校のことを検索した。
サジェストで「改築」と出たのでそれを見てみたら、現校舎を来年解体し、2年かけて新校舎を建てるという。

震災で焼けて昭和3年に建て直したから――88年か。
確かに老朽は激しかろう。
空襲でも半分焼けて、L字の校舎は古い方は大正の名残っぽいひと手間があり、新しい方は戦後らしくどこか素気ない作りだった。
空襲の怖い話も伝わるぼろぼろの地下室(戦時中は防空壕だったとかで裸電球だけの不気味な空間だった)もなくなってしまうのか。
光化学スモッグの対策としていち早くクーラーが置かれ、暖房もガスヒーターで、校内で調理する給食室が冬は拭き掃除用にお湯をくれたので、その辺は今思えばありがたかった。

「第一大学区第一中学区第一番官立小学」として開校したここは、自分が通っていた時に開校100年の記念行事をほぼ1年かけて大々的に行った。
歴史の3/5を担ったこの校舎に代わり、150周年は新校舎で迎えるのか。

ビルの谷間にある校舎は小さくて狭くて、休み時間は学年ごとに校庭/体育館・屋上・隣の公園の3か所を週替わりで使用していた。
そんな自分の頃も1学年60人いるかいないかくらいだったが今は20人前後というありさまだそうだから、それなりに広く使えてるのだろうか。
余った教室は和室、多目的室、パソコン室、などといかにも最近の流れだ。
児童が常にいない空間がかなりの割合を占める校舎、というのは地下室とはまた違った不気味さがあるかもしれない。
隣の公園などという学校の管理的にアレな場所は使用をやめただろうか。
プールも校外、隣の公園をまたいだ場所にあるけれど。

学区内だけでは子供が足りないこの学校には交通の便を生かした越境者が多く、地下鉄やバスの駅・停留所からそれぞれ「登校班」があるほどだった。
毎朝、都内一と言われたラッシュの中、制服集団がランドセルを振り回しつつサラリーマンをかき分けていた。
今も少ないながら駅周辺で見られるその制服は、自分の頃と変わらない。
時代の波にも乗るのは私立高とかで、公立の小学校は変わらなくて当然かもしれないけれど。
ただ、ネットで「チャコールグレー」と表現されているのに 意表を突かれた。
当時は「灰色」「ねずみ色」だったが、言葉一つでずいぶん印象が違う。
同じ「チャコールグレー」の制服姿が、自分の記憶よりずっと少ない人数で、小さいけれど真新しい校舎で、開校以来の歴史をまたたどって150周年を祝う時が遠からず来ると思うとあの頃の自分から実に遠くへ来た感じがする。

2016/09/04/Sun    トイレ攻防戦。

ついに猫のトイレを増設した。

粗相防止の一案として以前獣医師に提案されたうちの一つではあったが、なにしろ家の中がごちゃついているのと管理しきれるだろうかという不安もあったので、長いこと二の足を踏んでいた。
しかし、コミケ直前になってなぜか「そうだ、ここに作ろう」と思い立って、遥か10年前にふたりが来た頃使っていた小さいトイレを引っ張り出して(これが処分もされず残っているあたりが管理しきれない一因)、新しい砂を入れて、飛び散り防止の衝立とペットシーツも敷いて、ヒトのトイレのそばに配置した。
正直邪魔だが仕方がない。

3日後くらいに、ようやくどちらかがそこを使った跡を見つけた。
トイレジプシーのココアさんがと思いきや、お尻の大きいかりんさんが無理やりはまっている姿を目撃し、さては大きいトイレの方に残っていた小さい「大」はココアさんのか、案の定というかどうしてお前らはネタのように逆なんだ、とやきもきし。
8月中旬からこっち、トイレ事情はヒトの管理と一部少々手狭になっただけでなんとなく平和になっていた。

そこで、小さいトイレ(推奨5sまで)をかりんさんが使えるなら、大型を小さくしてもいいんじゃない? 砂の節約になるし、と欲を出した。
同じ大きさの小型をもう一つ用意し、匂いが大事なはずなので大型の砂を入れ、おいてみた。
大型の跡地は小型二つ以上の面積なので、二つ並べてみた。
しかし、その方法は3日で荒れた。
玄関にされ、トイレを外れてされ、布団にされ、爪とぎにも風呂場にもされ――今までした場所総動員だ。
仕方なく大型に戻して、小型も大型から離した元の場所に置いたのが昨日。
早すぎたのか、2段階を一度に変えたのが悪かったのか、ココアさんは広くなきゃ嫌なのか。

新しい小型がもったいないので、涼しくなったころにもう一度段階を踏んで、トライしたい。
大型をさっぱり洗って粗大ごみにして床をすっきりさせたい。
将来的には猫ズの足腰の老化を念頭に入れ、二階の階段前にも配置したいし。
でも失敗した時にまた拭き掃除・洗濯するダメージは案外大きい、と今回思ったので、また気力体力がゲージいっぱいになるまでお預けかもしれない。
それはこの秋か、冬か、はたまた来年の今頃か、さっぱり自分に信用が置けない。